フォレストサイドハウスの住人達(その17)
36 フォレストサイドハウスの住人達(その17)(587)
鶴岡次郎
2017/05/19 (金) 14:38
No.3002
「主人は・・・、
千春を忘れることが出来ないでいると思う…・
悔しいけれど、主人にとって、千春は特別な人なのよ…」

「そんなことはない‥
商売女とお客の関係よ・・・、
ご主人には・・、私はただの娼婦よ・・・」

思い切り彼女自身をさげすんだ言葉を出している千春です。その分、坂上春樹への思いが強いのです
が、それには気が付いていないのです。

「ううん・・、
私には判るの…、
彼自身も・・、いけないことだと判っていても…、
千春への気持ちを、私の前でも隠すことが出来ないのよ…」

「・・・・・・・・・・・・・・」

一瞬、寂しそうな表情を咲江が見せています。不注意な言葉は出せないと千春はじっと口を閉じてい
ます。それでもこのままではまずい方向へ展開すると思ったのでしょう、重い口を開きました。

「二度目にお店に来た時・・・」

最初の言葉を口に出し、次の言葉を考え、千春は慎重に話し始めました。

「ご主人は・・、お別れの挨拶に来たと言った…。
そして・・・、二度とこの店には来ないと断言した・・・、
修行のつもりでやっていた女遊びもきっぱり止めると言った…」

「そうなの…、
そんなことをあなたに宣言したの…」

「うん・・・、
正直言うとね・・・、
そこまで割り切らなくてもいいのに・・と、私は思った」

咲江の表情に明るさが戻ってきたことを確かめ、千春は喜んでいました。

「彼はきっぱり宣言した…。
これから先は、ここで起こったことはすべて忘れてほしい・・・、
顔見知りのご近所同士として付き合ってほしいと・・、彼は言った…。
勿論・・、私も異論はないと答えた…」

言葉を選びながら千春は説明しました。

「そう…、
そんなことを言ったの…
彼なりに、ケジメをつけたのね…・」

「そうだと思う…、
女遊びより、研究が大切だとも言っていた…。
私は大切な顧客を失って残念だけれど…、
他にもたくさん御客はいるからね・・、
一人や、二人、お客が逃げても構わない・・、ふふ…」

「よく言うわね…、
でも・・、もし・・、もしもよ・・・、
あなたのことが忘れきれなくて、主人がお店に来たら・・・、
相手するのでしょう…?」

「・・・・・」

そう言ってじっと咲江が千春を見つめているのです。千春は言葉を出せないでいました。親友が真剣
に問いかけているのです。心にかなわない返事はできないと千春はじっと彼女自身の心の内を覗き込
んでいるのです。そして、ゆっくりと口を開きました。

「彼が来たら・・・、
もし・・・、彼がお店に来たら‥‥、
追い返す‥・・、スタッフに頼んで玄関払いする…・、ふふ…」

「・・・・・・・」

咲江の瞳にみるみる涙があふれ出ていました。千春が手を差し出し、咲江がその手をしっかり握って
います。見つめ合い、二人の女はそのままの姿勢でじっと手を握り合わせていました。

〈彼を立ち直らせてくれたことには感謝している・・・・。
でも・・、これから先は、主人には手を出さないでほしい…
千春には遊びでも・・・、
あなたを抱けば主人は深みに嵌って行くと思う・・
悔しいけれど…、千春にはそれだけの魅力があふれている‥‥、
お願い…、主人には手を出さないで…・・〉

〈約束する…、
ご主人には絶対手を出さない…〉

〈ありがとう・・〉

咲江がもう一度強く千春の手を握りしめました。千春も咲江の手を強く握りなおしています。千春の
心の言葉を聞いて、咲江の頬に一筋の涙の跡が出来ています。千春の手が温かいと咲江は感じ取って
いました。