フォレストサイドハウスの住人達(その11)
52 フォレストサイドハウスの住人達(その11)(364)
鶴岡次郎
2015/09/09 (水) 16:46
No.2744

「千春が戻ってからちょうど一年・・・、
色々とごたごたはありましたが・・・、
私と千春は組を抜けることができました・・・。

堅気で平穏に暮らす・・、
それさえあれば、他に何もいらない・・・
二人の気持ちはその点で一致していました。

ひょんな縁で今の親方と知り合い、拾い上げていただき、
何も聞かないで、私と千春に住まいを与えていただき、
私は親方の店で働かせていただくことになり、今日にいたります・・・・」

静かに話す神本の言葉に山口が何度も、何度も頷いています。

「中学を卒業して直ぐに組織に入りました。そこでの生活しか知りません。そこを抜けた時はどう
生活していいか皆目わかりませんでした。堅気で生活するイロハを親方から教わりました。親方に
は言葉で言い尽くせないほどお世話になりました・・・・、足を向けて眠れない気持ちです・・・」

この場に佐王子本人がいるように神本は深々と頭を下げているのです。畏敬の気持ちをその表情に
浮かべ、山口は神本をじっと見つめていました。

「私はもうじき50になりますが、今が一番幸せな時間だと実感しております・・・」

しみじみと語る神本の気持ちが山口にはなんとなく判るのです。命の危険を感じることのない安穏
な生活のありがたみは、その生活を失った時初めて気が付くのだと、山口は納得していたのです。

「親方のおかげで経済的には彼女を店で働かせる必要はないのですが、時々彼女は東京のソープ店
に出ています。多分、その仕事が好きなのだと思います。そして、店に出ていると、いろいろ誘惑
も多く、色事が好きですから、外で他の男に抱かれることもあります・・。

あなたには申し訳ないのですが・・・、
あなたとの出会いも彼女の好色な遊び心から出来た縁だと思います・・・」

山口が悲しそうな表情を浮かべ軽く頷いています。

「後になって、あなたの気持ちを幸恵さんから知らされて、若いあなたを迷わせたことを千春は本
当に悔やんでいます。あなたの純真な気持ちを結果として弄んだことを千春は本当にすまなかった
と言っています。直接お会いして頭を下げたいと言う彼女を押しとどめたのは私です・・・。

あなたとお会いすれば、千春だって女です、魅力的なあなたを見れば、そんなに強くあなたを拒否
することができなくなるはずです、そうなれば、あなたを余計に苦しめることになると思ったから
です。

私からも謝ります・・・。千春を許してやってください・・」

話を終えた神本が山口を真正面から見つめて、そして深々と頭を下げました。感情が高まり、涙が
溢れそうになるのをかろうじて抑え込み、山口もまた深々と頭を下げていました。完璧なまでの敗
北感で山口は押しつぶされそうになっていたのです。

〈千春さんを愛する気持ちでは決して負けていない・・、
しかし・・、地獄の苦しみの中を生き抜いた二人だ…、
僕など入る隙間は、彼らの仲には存在しないのだ・・・・
彼らの間には不滅の絆が存在するのだ・・・〉

これほど強い絆で結ばれた男と女の関係を山口は他に知りません。その中に割って入るのはほぼ絶
望的だと感じ取っていたのです。彼女を奪い取る自信が・・、彼女と暮らす楽しい夢が・・、彼の
中で音を立てて崩れていくのを、山口はじっと見つめているのです。