フォレストサイドハウスの住人達(その11)
45 フォレストサイドハウスの住人達(その11)(357)
鶴岡次郎
2015/08/31 (月) 13:40
No.2736

10時ごろまで女はかいがいしく働きました。今まで住んでいた環境とあまりに違い過ぎるため、
最初は軽い戸惑いもあったのですが、体を動かしていると5年前の記憶が蘇ってきました。

部屋の掃除、洗濯、食器類の点検、食器類は5年前のまま手ずかずで残されていました。女の知ら
ない食器が二、三点と箸が一人前分増えていました。どうやら男は新婚家庭用に準備した夫婦セット
の食器類は使用しないで、5年間一人用の食器を別に準備してそれを使用していた様子なのです。
そのことを知り、女はまた涙していました。

四個のスーツケースの中身は衣類やバッグ、靴そして装飾品でした。それまで暮らしてきた身の回
りの品は勿論、高価な家具類まで含めて、女がその気になれば全て持ち出すことが許されていて、
輸送の手続きもやってくれることになっていたのです。それでも、これからの生活を考えて女は4
個のスーツケースに入る物だけを持ち出すことにしました。

それまでの過ごした屋敷には大きな衣裳部屋があり、その中にたくさんの衣類が収まっていました。
中には有名ディザイナーの手になる高価な物や、派手なパーティ衣装もあり、あれもこれも捨てが
たい気持ちで迷いに迷ったのですが、これからの生活を考えて思い切って地味な衣類を選んでスーツ
ケースに詰めたのです。

そっくり残されていた5年前の衣類とスーツケースから出した衣類を並べて比較すると、流行遅れは
致し方ないにしても、今の女の目で見ると、昔の衣類は恐ろしく派手で、とっぴなデザインと色彩の
物ばかりなのです。

「貧乏だったから質が悪いのは仕方ないけれど・・、
どうしてこんなものを着ていたのかしら・・・、
これでは・・、娼婦ですと公言しているようなものだ…、
とても身に着ける気になれない…」

女は口に出して苦笑いしていました。

5年の歳月が女の趣味を大きく変えたようです。街に立つ娼婦のような衣類だと女自身が言う5年前
の衣服に比べて、スーツケースから取り出した衣類は地味な色合いと控えめなディザインですが、全
てが女の美貌と品格をより際立たせる印象的な洗練された衣服なのです。

シャワーを使い、下着を取り換えて、散々迷った末、胸元が上品かつ大胆にカットされた半そでの淡
い茶のワンピースを選びました。ネックレスとイアリングは鈍い光を放つプラチナの小品です。今日
の訪問先のことも考えて、ごく普通の主婦の一寸した外出着のつもりなのですが、際立った美貌が災
いして、女の狙いとは逆に、質素で飾らない装いが女の持つ気高さをより目立たせる結果になってい
るのです。

小さめの茶のバッグを肩にして女は濃い茶皮のローヒール靴を履き表に出ました。8月の太陽はほぼ
真上に来ていて、容赦ない熱線を地上に降り注いでいます。表通りに出た女はそこでタクシーを拾い
ました。5年前であれば最寄り駅まで歩いたものですが、女はそんな習慣を忘れているようです。

10分ほどで目的の大きな私立病院へ着きました。受付でスタッフと一言二言、言葉を交わした女は
三階の外科病棟へ向かいました。通りすがりの男は勿論、ほとんどの人が彼女を見ています。たぐい
まれな美貌とモデルにしたいようなスタイルが人々の視線を引き付けるのです。そんな人々に女は控
えめに挨拶をしながら、目的の病室へ向かいました。