フォレストサイドハウスの住人達(その10)
47 フォレストサイドハウスの住人達(その10)(311)
鶴岡次郎
2015/04/27 (月) 14:10
No.2685

緊張した表情のまま、少し充血した瞳を佐王子に向け佐原が頭を下げました。ここでも最後までいい夫
の役目を果たすつもりのようです。

「佐王子さん・・、お聞きのような次第です・・・。
私からもお願い申します。
妻のわがままを聞き届けていただきますか・・、

万が一、ご迷惑を掛けるようなことが起きれば・・・、
私が責任を持って対応します・・。
よろしくお願い申します…」

苦しそうな表情を浮かべつつ、それでも明瞭な言葉で佐原は語りました。そんな夫を幸恵は涙を浮かべ
て見つめていました。

「そうですか・・、
お二人がそこまで言われるなら、私に反対する理由がありません。
今まで通り働いてください。
勤務時間の調整はいつもの様に、フロント係と調整してください。
多分、幸恵さんのご希望に沿った形でシフトを組めると思います。

ところで、アパートの方はどうしますか・・、
当然・・、ご自宅からの勤務となりますよね・・」

「できればアパートの方も今のまま使いたいのですが・・・、
勤務予定日の前夜アパートに来て、翌日、仕事をするようにしたいのです。

朝、あのアパートで目覚めて、そしてそこから直接お店に出勤する、
このルーチンだと仕事をする気分が高まると思います。
自宅からだと、どうしてもその気分になるまで時間がかかりますし・・
それに・・、自宅から真っ直ぐお店に来るのは・・、
そうはいっても・・、気が引けますから・・・・」

「なるほど・・、心構えの問題ですか・・・、
確かに・・、ご自宅とこの店では環境に差があり過ぎますからね・・・。
私もその選択が正しいと思います。
費用は余計に掛かりますが・・、
幸恵さんにとって、それは問題ではないでしょうからね…、

ご主人にはそれなりのご不自由を掛けるでしょうが、
週に二日か三日の外泊ですから、なんとか我慢できるでしょう・・、
いやいや・・、これは余計なことを申し上げました。
その件はご夫婦で話し合ってください。私の方はどちらでも対応可能です・・」

勿論、佐原は幸恵のアパート暮らしに反対しません。こうして幸恵の希望通り事が運ぶことになりまし
た。三人の話し合いは終わりました。その日、幸恵は仕事の予定を切り上げて佐原と一緒に久しぶりの
自宅へ戻ることになりました。


店を出て、階段を降り、ビルの外へ出ると、もう夕闇が迫っていて、繁華街の店々には照明が入り、仕
事を終えた顧客たちを迎える体制が整っています。背の高い佐原の左腕にぶら下がるようにして、幸恵
が腕を絡めて楽しそうに話しながら店を後にしています。二人の背を佐王子が見送っていました。

「あれだけ脅かせば、てっきり辞めると思ったのだが・・・、
仕事をつづけることになるとは…、
女の考えることは本当に判らない…、
俺としたことが女の気持ちを読み切れないなんて・・・、
まだまだ修行が足りないね…」

幸恵が下した仕事続行の決断は少なからず佐王子を驚かせたようです。二人の仲睦まじい後姿を見送り
ながら、佐王子はぶぜんとした気分で呟いていたのです。


「お前・・、本当に・・、
一生あの仕事を続けるつもりなの・・」

店から離れると佐原が一番気になっていることを質問しています。

「そんなわけないでしょう・・、
一年も勤めれば、珍しさが消えて、飽きが来るでしょう…、
そうなれば、さっさと辞めるつもりよ…」

「しかし・・・、佐王子さんは大変なことを言っていた・・・・、
その気になっても女の体が許さなくなるのだろう・・、
お前の体が男なしでは生きて行けなくなるのだろう・・・、
辞めたくても、辞めるにやめられなくなるだろう・・・、
そうなったら、本当にかわいそうだよ・・」

「バカね…、
あの言葉を本気にしたの・・・、
あきれた・・・、
あれは女をバカにした言い分なのよ・・、

もしかしたら・・、
私を辞めさせたい佐王子さんの親心かもしれない・・、

いずれにしても、あれは佐王子さんが私達をひっかけるつもりの言葉よ、
ちょっと・・、考えて見たら判るでしょう・・・」

頭ごなしに幸恵に言われて、佐原はきょとんとして半信半疑の表情を浮かべていました。