フォレストサイドハウスの住人達(その10)
38 フォレストサイドハウスの住人達(その10)(302)
鶴岡次郎
2015/04/10 (金) 12:03
No.2675
2015、4、10、 記事番号2674に一部修正を加えました。再読いただければ幸いです。


女を抱きしめていた手を緩め佐原が女の顔を真正面から見ています。ほとんど唇が接触するほど二人は
接近しているのです。笑みを浮かべて男が囁きました。

「そうと決まれば・・、
せっかくの準備を無駄にしたくないね…、
ここで楽しませていただくか…」

「はい・・、そうさせてください・・・、
修行の成果をあなたに見ていただくのを楽しみにしていました。
わずか、ニケ月足らずの修行でしたが・・、
親方からも・・、
ご指導いただいたお姉さん達からも、
何時、卒業しても良いと言われています・・・。
私・・、才能があると言われているのですよ・・・・」

「えッ・・・?
修行・・・?
卒業・・・・・?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

愕然とした表情を浮かべ、言葉を失い、佐原がそのまま凍り付いたように幸枝を見つめています。不審
そうに笑みを浮かべて女は男の顔を見ていました。

「そうか・・・・、そうだったのか・・・・、
幸恵・・、もしかして・・、お前は…」

驚愕の表情を浮かべ、女の体から手を離し、一、二歩後退して、その場に崩れるように床に膝を着けま
した。そして膝に両の手を着いて、幸恵をじっと見上げています。無邪気に笑みを浮かべていた幸恵が
夫の突然の変貌に驚き、狼狽えています。

「そうだったのか・・・、
ああ・・・、僕は大変な思い違いをしていた…
そこまでは考えられなかった・・・・・」

がっくりと頭を垂れて、佐原は両膝に両手をついて肩を落としています。これまでこれほど落ち込んだ姿
を幸恵に見せたことはないのです。

「どうしたのですか・・・?
私・・・、何か気に障ることを言いましたか…」

夫の急変に幸恵は動転して、彼の言葉をほとんど理解していませんでした。それで、夫の急変が自分の
心無い言葉のせいかと幸恵は考えたのです、しかし、どう考えても思い当たることはないのです。

「ああ・・・、匂いですか・・・、
匂うんですね…、
嗚呼・・・、どうしょう・・」

幸恵はあることを思い出していました。この世界に入った時、先輩から教えられたことがあるのです。

「この世界に長く居ると、いつの間にかソープの匂いが体に染み込むもんだよ・・、
いくら外見を飾っても、判る人が嗅げば・・、
その世界の泥水にどっぷりつかった女であることがバレちゃうんだよ・・、
幸恵さんも、そうなる前に足を洗いな…」

わずか二ケ月とはいえ、この世界にどっぷりつかり込んでいる幸恵は、消すことが出来ない〈娼婦の匂
い〉をすでに発散させるようになっていると危ぶんでいるのです。

〈匂う…、汚れ果てた匂いだ・・、
贔屓にしていたあの女もこんな匂いをさせていた…
ここまで堕ちているとは思ってもいなかった…〉

かって買った娼婦と妻の匂いに共通点を認めて、妻の実態を改めて認識した佐原は、妻が遠くへ去った
こと悟り、大きなショック受け、その場に跪いたのだと幸恵は考えたのです。

おろおろして夫の肩に手を触れようとして、触れてはいけないものに触れたように慌てて手を引っ込め
ています。汚れはてた体で夫に触るべきでないと、妻はとっさに悲しい判断をしたのです。