フォレストサイドハウスの住人達(その10)
34 フォレストサイドハウスの住人達(その10)(298)
鶴岡次郎
2015/04/03 (金) 16:50
No.2671

いくら親しい仲でも他人にあの動画を見せることなど佐原の常識ではありえないことなのです。佐原の
中に妻への怒りがこみ上げていました。

〈なんてことをするのだ…、
選りによってお隣さんにあの動画を見せるとは…
取り返しのつかないことをしてくれた…

動画をネタにして、恐喝される心配だってある・・、
そうでなくても、これでお隣さんと顔を合わせることが出来ない…〉

外では温厚な人柄で知られていて、その評判を維持するため我慢に我慢をかさね、感情を爆発させるこ
とはないのですが、その反動で佐原は家庭では幸恵に対して暴言を吐くことが多いのです。

この場面でも、負い目がなければ厳しく幸恵を叱りつけるところですが、ぐっと我慢しています。

〈危ない・・、危ない・・・、
危うく幸恵を怒鳴りつけるところだった・・・、
そんなことをすれば、売り言葉に買い言葉で、
幸恵だって黙ってはいないだろう・・、
そうなれば、二人の仲は修復不能になるところだった・・〉

怒りを鎮め、収拾策を巡らしていると、冷静に事態を見極めることが出来ることに佐原は気が付いてい
ます。怒りにまかせて、幸恵を怒鳴りつけていれば、互いの燃え上がった感情に油を注ぐことになり、
つい暴力をふるい、取り返しのつかない事態になっていたかもしれないのです。

〈元を質せば僕のせいだ…、
捨てないで、動画をパソコンに保存していたのが悪いのだ・・、
考えてみれば、ちょっと恥ずかしいことだが、
犯罪行為を隣人に見られたわけではないから・・、
大騒ぎすることはない・・・
しかし、女同士の付き合いとは判らないものだ、
亭主の恥かしい動画を見せるのだからな・・・〉

かっとなった後、冷静になって考えると、女同士の付き合いではそうしたこともあるのかと、まるで他
人ごとの様に、妙に感心する余裕さえ出てきたのです。何事にも失敗を許さない、以前の厳しい佐原で
は考えられない態度です。どうやら、幸恵の失踪事件が佐原を成長させたようです。

「・・・で、お隣さんの反応はどうだったのだ・・」

自身の罪を棚に上げて、動画をお隣さんに見せたことを追求する口ぶりになっています。

「大変なことになった・・、相談に乗ってほしい・・と、
そう言って彼女に動画を見せました。

千春さんは平然として最後まで動画を見ていました。
あまりに冷静な千春さんを見て、私は拍子抜けした気分でした。
私はその気持ちを正直に千春さんに伝えました。

千春さんはにっこり微笑んで・・、
何も知らない私が動転するのは当然だけれど、
男と女の間では、こうした戯れは決して異常なことでなく、
むしろ良くあることだと教えてくれました。
その言葉で私は随分と慰められました・・・。

正直に申し上げます。
動画を見た直後は、私は生きてゆく気力さえ失っていました。
今日こうしてあなたと何とか向き合っていられるのは・・、
すべて・・、千春さんのおかげです。
もし彼女のアドバイスがなければ、
多分・・・、私は・・、酷い誤解をしたまま・・・・」

ここで幸恵は言葉を飲み込み、大きく深呼吸しています。その時のことを思い出したのでしょう、こみ
上げる大きな感情のうねりをゆっくりと飲み込んでいる様子です。

幸恵の様子を見て、結果として千春に相談したことは正解であったと佐原は気が付いていました。誰に
も相談できないまま、一人で問題を抱えていれば、幸恵の精神は崩壊していたかもしれないと佐原はよ
うやく気が付いていたのです。