フォレストサイドハウスの住人たち(その8)
2 フォレストサイドハウスの住人たち(その8)(190)
鶴岡次郎
2014/06/23 (月) 17:21
No.2550

新 居

二人の新生活は浦上が暮らしていた2DKの賃貸アパートでスタートとしました。結婚後一年で長
男を妊娠、これを契機に千春は店を辞め専業主婦となりました。子供が生まれたら、出来るだけ早
く新居を購入してアパートを出る、かねてから浦上はそう決意を固めて、いろいろ準備を進めてき
ていました。長男の一回目の誕生日が近づいてきた春、少し無理をして、計画を前倒しして新居を
購入することにしました。

浦上家の新しい住まいは、都心から電車で30分、公園の側にある高層アパート、フォレスト・サ
イド・ハウス(FSハウス)1614号室です。

引っ越して直ぐに隣家の1613号室へ夫婦そろってあいさつに出向きました。隣家の住人は年配
の夫婦二人暮らしでした。男性は佐原靖男と名乗り、大手生命保険会社の役員をしていると自己紹
介しました。スレンダーな体つきで身長が180センチ近く、その上、面長の渋いイケ面です。背
の高い夫の背後に隠れるようにして立つ夫人は幸恵と自己紹介して、専業主婦で趣味のパッチワーク
を楽しんでいると言いました。丸顔で可愛い感じの女性でした。

佐原夫妻と浦上夫妻は歳も違い、夫たちの職業も収入も異なるのですが、最初の出会いから主婦同
士の気が合ったのでしょうか、この種の高級マンションでは珍しいことなのですが、その後も夫人
たちは互いの家を気楽に訪問する仲になったのです。

後で判ったことですが、佐原夫妻には息子が二人いるのですが、二人の息子は家を出ていて、その
頃は夫婦二人暮らしだったのです。二人の息子は結婚適齢期をとっくに過ぎているのですが、どう
やら独身生活を楽しんでいるようで、佐原夫妻にとってはそのことが一番気がかりなことだったの
です。

そこへ、一歳の子供を連れた浦上と千春が引っ越してきたものですから、佐原夫人はまるで自分の
孫の様に千春の子供をかわいがりました。千春も佐原夫人を実の母親のように慕い、何か困ったこ
とが起これば、先ず佐原夫人に相談するようになっていたのです。

最初からこの本を読んでいただいている読者の方の中に、佐原夫妻という名を聞いて、あるいは、
この本の最初に紹介した夫人失踪事件を思い出される方がおられるかもしれません。実は佐原幸恵
夫人が突然このマンションから失踪するのは千春達が引っ越して来てから5年後のことなのです。
この頃は、佐原夫妻には何の異常もなく、典型的な裕福な中年夫妻だったのです。


長男が4歳になり幼稚園に入れたことで、それまでの多忙な子育ての仕事から千春は解放されまし
た。32歳になった千春は朝10時過ぎから、長男を迎えに行く午後3時ごろまで、それまで想像
さえできなかった自由な時間を手に入れたのです。一方、浦上は40歳になり、入社同期のトップ
を切って部長に昇進しました。

「少しでも異常を感じたら・・、
私に真っ先に連絡をください…、
処置が遅れると、みんなが不幸になりますから…」

結婚当初、この佐王子の言葉を浦上はいつも思い出し、それとなく千春の言動に注意を払っていた
のです。長男が生まれ、子育てに追い回されるようになり、浦上はこの言葉を忘れていました。


4年余りのED期間も含めて、浦上はもう10年近く千春以外の女を抱いたことがありません。商
社の営業マンですから、仲間との飲み会や、接待で盛り場に出入りすることも多く、それなりの誘
惑があり、その気になれば他の女を抱く機会は多いのですが、EDを患っていた浦上には、そうし
た異性は辛い思いをする対象でしかなかったのです。

千春と結婚後、女性が自由に抱けるようになっても、千春との性生活に十分満足して・・というよ
り、彼女との性生活でその精力を使い果たしていたと言った方が正確ですが、他の女に回す体力の
余裕をなくしていたのです。