フォレストサイドハウスの住人たち(その6)
19 フォレストサイドハウスの住人たち(その6)(149)
鶴岡次郎
2014/04/05 (土) 15:11
No.2499

男は冷静な表情で女を観察しています。どうやら、浦上は千春をあきらめたわけではないようです。
彼なりに千春の意志の固さを読み取り、他人の目が多いこの場で追求することの愚かさを察知して
いるようです。ここで女を更に追い込めば、女は心にもないことを言ってしまい、更に遠くへ彼女
を追いやる危険があると浦上は察知しているのです。このあたりがさすがバツ一経験者であり、交
渉ごとに長けた優秀な商社マンと言えます。

一方女は違います。意に反して別れを切り出した女は男の深層心理を理解することなどできる状態
ではないのです。別れを切り出せば、男から何らかのリアクションがあるはずだと構えていた千春
は、何も言わないでじっと自分を見つめている浦上を見て、戸惑い、そしてその後、深い失望の中
に落ち込んでいたのです。


〈ああ・・、とうとう言ってしまった…、
心にもないことを…、

三郎さん、あきれて言葉も出せない様子・・、
当然だよね・・、
理由も言わないで別れてくれという女を許すはずがない・・・、
これで、すべてが終わってしまった…。

それでも・・、せめて、私の手を取り
『行かないでくれ…』と言ってほしい…。
でも・・・、それは無理な望み・・、

何も理由を言わないで、突然別れ話を出したのだから、
殴られても文句が言えない身・・、

ああ・・・、とうとう・・、私の夢が消えてしまった…〉

あまりにかたくなな態度を見せる千春に嫌気がさして、二人の仲はこれで終わりだと浦上が判断し
て、何も反論しないのだと千春は受け止めていたのです。

ゆっくりと立ち上がり、深々と頭を下げて、潔く浦上に背を向けました。そして、一歩、二歩、店
の出口へ向けて歩を進めたのです。浦上が立ち上がり、声を出しました。かなり大きな声で、その
声は静かな店の中、隅々まで届きました。

「千春さん・・・・!
もう、一度・・、一度だけでいい・・、
会う機会を作ってください・・・」

女は立ち止まりました、しかし振り向きません。店内のお客にも、店員たちにも、浦上の声を届い
たようです。劇的な別れの場に立ち会い、全員が我がことの様に、不安な気持ちで、じっと千春を
見つめているのです。

「私から連絡を入れます・・・、
その時はぜひ・・、会ってください・・・」

千春の背に浦上が静かな声で頼みました。

「・・・・・・・・」

背を見せたまま、千春がこっくり頷きました。浦上はもちろん、店内のお客も店員も、その場にい
るみんながホッとして顔をほころばせているのです。

千春はそのまま振り向かないで、しっかりした足取りで店を出て行きました。男はじっと千春の背
を見つめていました。その後、千春が帰りのタクシーの中で涙をあふれさせ、必死で声を押さえて
いたのを、浦上は知らないと思います。