二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人
16 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人(16)
鶴岡次郎
2013/03/13 (水) 13:46
No.2331
由美子が準備してきたランチを佐原は嬉しそうに食べました。女の手料理に男は弱いとよく言わ
れますが、女にとっても同様に、手間ひま掛けて調理した料理を男が美味しそうに食べてくれる
のを見ると、女心が疼くものです。二人はすっかり打ち解けて、由美子の家族のことや、最近の
ニュースを話し合いました。しかし、日ごろは付き合い薄い二人です、直ぐに話題はつきました。

甘い、そして、何故か息詰まるような沈黙が突然訪れました。佐原は黙って食後のコーヒーを飲
んでいます。由美子は必死で話題を探そうとするのですが、あせれば焦るほど良い話題が思いつ
かないのです。

このまま沈黙が続けば、どちらかが痺れを切らして相手に抱きつきそうは雰囲気になっていまし
た。若い二人であれば、呼吸が乱れ、身体が振るえて、何も出来ない状態になるのですが、さす
がに由美子はこの雰囲気を楽しむ余裕さえ持っていました。佐原も同様で、コップの中の琥珀色
の液体をゆっくり喉に流し込みながら、薄いブラウスを透して見える白いブラに包まれた由美子
の胸をこっそり覗き込んでいるのです。甘い緊張でその濃度を増した由美子の体臭が佐原の鼻腔
に届いているはずです。この香りをかげばどんな男も冷静さを失うのです。

「未だ少し時間が有りますから・・・、
私・・・、部屋の掃除をします・・・」

独り言のように言って、由美子が立ち上がりました。ほっとした表情を浮かべ佐原がお礼を言って
います。


佐原も手伝って居間に散らばった小物を片付け、由美子が掃除機をかけ、その後、由美子一人で
キッチン、洗面所の掃除をしました。最期に佐原の部屋を掃除をして、これで仕事が一段落しま
した。佐原のいる居間に戻ろうとして、深い考えもなく、由美子は幸恵の部屋の扉を開けました。
この時、仕事熱心な佐原は居間で会社から持ち帰った書類を読んでいました。

夫人の部屋の物には一切手をふれないでおこうと最初から由美子は思っていたのです、しかし、
この日は佐原との間に起きた甘い沈黙のせいで、幸恵がどんな生活をしていたのか強い関心を
持ったのです。それで、自らに課した禁を破って、由美子は彼女の部屋に入ってしまったのです。


この部屋の主が去ってから二週間近く経っています。人気は感じられないはずなのです。それ
が・・、由美子はなんとなく違和感を感じ取っていました。誰かが・・・、それも女性が・・、
この部屋に最近入ったと由美子は感じ取っていたのです。

ためらいながら、それでも違和感の正体を突き止めたくて、作り付けの箪笥やロッカーをそっと
開けました。中を見て、由美子の違和感は更に強くなりました。最近、誰かがその中の物に手を
触れた気がするのです。由美子にためらいはなくなっていました。積極的に箪笥、ロッカーを
チェックし始めました。下着類を入れた小物ダンスを開けた時、由美子の違和感は確信に変わって
いました。

〈・・幸恵さんは、ここへ戻って来ている・・〉

二週間ほど前、寺崎と一緒に、最初にこの部屋に入った時に比べて、下着類がかなり減っている
のです。おそらく洋服ダンスや、其の他の物入れからも無くなっている物があるはずだと由美子
は確信しました。

幸恵恋しさのあまり彼女の下着に佐原が手を出すことは勿論考えられるのですが、それであれば
これほど多量の下着が無くなることはないと由美子は考えたのです。幸恵がこの部屋に入って、
衣類其の他を持ち出したと、由美子は考えたのです。

勿論、幸恵の意を汲んだ誰かがこの部屋に忍び込むことも由美子は考えたのです。マンションへ
入るカードキーと部屋の鍵を幸恵から預かって、住人以外の者がこのマンションに入り込むこと
は可能です。しかし、それは違法行為でバレれば佐原家はマンションから追放されるのです。着
替えを手に入れるために、そんな重大な犯罪行為を幸恵が犯すはずがないと由美子は考えました。


そう考えると、昼間佐原が会社へ出かけている内に、自分のカードキーを使用して自宅へ入り、
必要な品を幸恵が持ち出したと考えるのが自然なのです。住人がカードキーを使用する限り、コ
ンシェルジェには何も記録が残らないことを幸恵も知っているはずですから、安心して幸恵は行
動できるのです。そして、おそらく、幸恵はこのマンションからそう遠くないところに隠れてい
ると由美子は考えたのです。

この様子なら幸恵は何者かに拘束されている心配はなく、自由に動き回り、自宅へ戻るタイミン
グを計っていると由美子は考えました。幸恵の意思がはっきりわかるまでは、由美子はこの発見
を佐原にはしばらく伏せることにしました。同時に、廊下で見た怪しい男のことも佐原には伏せ
ることにしたのです。今、中途半端な怪しい情報を佐原に告げても何も得られないどころか、彼
に余計な心配を与えることになると思ったのです。もう少し情報を集めてその上で確信の持てる
内容になれば佐原に告げることにしたのです。由美子がこのような判断をしたのは、幸恵にさし
迫った危険がないと判断したからでした。