二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人
12 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人たち(12)
鶴岡次郎
2013/02/28 (木) 16:41
No.2327
その場で由美子は佐原に連絡を入れ、寺崎が調査を引き受けたことを話しました。佐原は非常に
喜んでいて、寺崎がその場に居るなれば電話口に呼んで欲しいと言いました。そしてかなり長い
時間二人の男は話し合っていました。翌日寺崎が佐原宅を訪問することが決まりました。これで
佐原幸恵の調査を寺崎探偵事務所が正式に請け負うことになったのです。

佐原の希望もあって、由美子が寺崎に同行しました。佐原のマンションは泉の森公園の側にあり、
由美子の自宅から徒歩でも行ける距離の所にあります。27階建ての比較的新しい建物で、この
近辺では一番豪華なマンションです。16階にある佐原の部屋、1613号室へ行くにはビルの
玄関とエレベータの二箇所に関門があり、関門はカードキーがないとゲイトが開かないシステム
になっています。このため住民以外の者がこのマンションに入るためには、入口ゲイトのインタ
ホーンで住人を呼び出し、住人が臨時出入のカードキーを発行することになります。この時、そ
の来訪記録が残るシステムになっています。勿論、要所に監視用のテレビカメラが設置されてい
て、不審者がチャクされています。

前夜、寺崎の指示を受けていた佐原はコンシェルジェから幸恵が失踪する前3ヶ月まで遡って、
自宅訪問者記録を入手していました。そのデータにはただの一件も不審者の訪問は残されていま
せんでした。これで少なくとも、自宅へ幸恵が男を連れ込んだ形跡が無いことが判ったのです。

一方、住民の出入はコンシェルジェではチェックしないことになっていて、何のデータも残って
いないのですが、佐原が知る限りでは幸恵の外出はかなり頻繁で、週に三回趣味でやっている
パッチワーク教室への出席、毎日の買い物、そして気楽な散策に時間を費やしていたようで、ほ
とんど毎日、5時間以上家を空けているのです。この行動を見る限り、幸恵が外で男と会ってい
た可能性は否定できないのです。

佐原夫妻は、寝室や居間の他にそれぞれに自室を持っていて、幸恵の部屋は趣味でやっている
パッチワークの作品で文字通り埋めつくされていました。
寺崎と由美子は丹念に幸恵の部屋を調べました。幸恵の部屋は彼女が失踪した直後の状態のまま
だと佐原は証言しました。

「この部屋の様子を見る限り、幸恵さんは何も持ち出していないわね・・・、
全てを日常のまま遺して、家を出て行った・・・」

洋服は勿論、下着類も持ち出された形跡は無いのです。

あの日、いつものように夜8時頃、帰宅した佐原は部屋の様子を見て、幸恵が買い忘れの食材を
買いに出たと、思ったのです。

居間ではテレビが点いていて、キッチンでは炊飯器がタイマー設定でご飯を炊き上げていたし、
オーブンにはローストチキンが入っていて、火を入れるばかりの状態であり、また、鍋には味噌
を入れて火をつければ味噌汁が出来るまで準備されていたのです。

「幸恵さんはよほど急な事情で家を出ることになったのネ・・・」

佐原から当日の様子を聞き、由美子が呟いています。寺崎が難しい表情で頷いていました。

寺崎が今まで経験した限りでは、主婦が家出をする時は周到に準備を重ね、衣類や化粧品、その
他日常生活に必要な必需品は事前に取りまとめて家出先に送り届けるのが一般的なのです。

幸恵の場合、夕食の支度途中でチョッと外へ出て、そのまま姿を消したとしか考えられない状況
なのです。口には出しませんが、今回の事案は単なる主婦の家出とは異なり、事件の匂いを寺崎
は嗅ぎつけていたのです。


一通り部屋の調査が終わり、二人は居間に戻りました。佐原がコーヒーを準備していました。そ
こで佐原がA5サイズの便箋を一枚二人の前に差し出しました。

「これが幸恵が残した書置きです。
居間のテーブルの上に置いて有りました」

何の変哲もない便箋にサインペンでその書置きは書かれていました。

『チョッと留守にします・・
             ゆきゑ

探さないで下さい・・・』

佐原でなくても、誰でも当惑するほど簡単な文面です。寺崎も由美子もただ黙ってその文章を見
ていました。