一丁目一番地の管理人(その29)
25 一丁目一番地の管理人(443)
鶴岡次郎
2012/07/31 (火) 11:37
No.2275

暇を持て余した有閑マダムと独身のオーナーシェフ、このシツエイションで想像されるのは男と
女のただれた愛欲情景で、いずれ女の体に飽きが来たイタリア男が女を捨てることになると誰し
もが想像するのです。ところが、喜美枝の話を聞く限りではアダモは真剣に喜美枝を愛し、早い
時期に将来を共にする覚悟を決めていたとようだと由美子は理解したのです。それほど、アダモ
は純粋で、ひた向きな愛情を喜美枝に捧げていたのです。

アダモは喜美枝を彼好みの女に仕立て上げようと懸命に努力しました。ファションは勿論、化粧
から歩き方までアダモは喜美枝に細かく要求しました。彼と一緒にいる時は、スカートの下には、
下着と呼べないような小さな布を着けさせ、それが男の仕事だと思っているように、絶えず彼の
指が喜美枝の下半身に触れていたのです。

日本の男と決定的に違うのが唇の使い方でした。キッスは勿論ですが、手の指先から、足の指先
まで、女の全身に唇を這わせ、根気強く女を嘗め回したのです。女はそれだけで何度も天国へ上
り、身体中の水分をほとんど吐き出していたのです。

アダモのイタリア流トレーニングが行き届いてくると、喜美枝はすっかり変貌していました。そ
れでなくても目立つ豊かな肢体が、セクシイなイタリアファッションで包まれると、街中の男が
彼女に視線を集めました。初めは恥ずかしがっていた喜美枝は直ぐに見られる楽しみを憶え、下
着や、豊かな乳房を、見知らぬ男達に巧みにちらつかせる技と工夫を直ぐにマスターしていたの
です。

一時間も街を歩くと、男達の視線を全身に感じ取り、喜美枝はいつもしとどにカラダを濡らして
アダモのアパートに戻っていました。そして、部屋に入りアダモを見ると自ら男にしがみ付き、
全身を男に預けて狂ったのです。伍台と暮らしていた貞淑で、物静かな主婦の面影はどこかに吹
き飛んでいたのです。


喜美枝は楽しそうに、止め処なく、アダモとの生活を由美子に語り続けました。由美子は時々冷
やかしの言葉を挟みながら喜美枝の話を聞いていましたが、頃合を見て、ある思いを込めて質問
しました。

「彼・・、真剣に喜美枝さんを愛していたのね・・、
最初から結婚を真剣に考えていたと思う・・・
喜美枝さんは彼のことをどう思っていたの・・・?」

「エッ・・、彼のこと・・・?
どう・・・て・・」

興奮した体に冷水を浴びせられたように、電話口の向うで喜美枝が口ごもりながら返事をしてい
ます。それまでの淫らな口調とちがって、由美子の真面目な質問に困り果てている様子です。そ
の話題には触れて欲しくない様子なのです。


「伍台が単身赴任して、寂しさと同時に開放感を感じて、
味に惹かれて通い詰めていた彼のレストランで何度目かの誘いがあって、
なんとなくその気になって・・、ある夜、抱かれた・・、
一回きりだと自分自身に言い訳を言っていた・・・」

覚悟を決めたようで、触れられたくない過去の恥部を由美子に話す気持になったようです。喜美
枝は真面目な口調で話し始めました。


「それまで経験しなかったほど、丁寧に愛撫されて、
この時、初めて私はセックスの良さを知った・・・。

アダモに惹かれたことは確かだけど、
恋に落ちたのかと問われると、そうでなかったと答えることになる。
でも、彼とのセックスに強く惹かれたことは間違いない・・・」

初めて知ったカラダの喜びと、華麗なセックステクニックに喜美枝は心も身体も奪われていたの
です。

「でも・・、妊娠したことを知り、私は目が覚めた・・。
彼の子を身篭ることなど、考えてもいなかった。
妊娠したことで、彼への愛情が完全に消えた。

残るのは自己嫌悪と・・、
私をこんな立場へ追い込んだ彼への恨みだけだった・・・」

喜美枝は一言一言考えながら、当時を思い出しながら話しています。由美子はただ黙っていま
した。

「アダモが国に帰る時も、彼の後を追う気持ちはなかった・・。
これから先、どう生きて行くか、何も考えることが出来なかった。
ただ、お腹の子供のことを考えると不安で、
死んでしまいたいと、何度も思った・・・・」

電話の向うで当時を思い出し、涙声になっている喜美枝の声を由美子はただ黙って聞いていま
した。この無言が由美子が出来る唯一の抗議の姿勢だったのです。